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作曲者の想い

ロックやブルース、ジャズをやっている人間の中には
クラッシックにはない自由な表現が出来る、
という部分に魅力を感じている人間が多いと思います。

ソロやアドリブのパートは言うに及ばず、
メインのメロディさえ、日によっては違う節回しにする。

そういう部分がとても魅力的に感じるわけです。

僕自身、ヴォーカルでありながら、アドリブでセッションに絡んでいくのが
好きだったりもします。

それに較べると、クラッシックの場合、まったく逆で

「作曲者の想い」、「作曲者の表現したかったもの」

というのは絶対で、譜面に残されたもの意外を表現するのは
タブーとされている(らしい)です。


昔は、大してクラッシックのことを知りもし無いくせに(今でもそうですが(汗))
そういう部分が窮屈で、嫌でした。

自由じゃない。

そう感じていたんです。

それが最近、少し考え方が変わってきました。


クラッシックの世界の人たちがなぜあれほど譜面どうりに演奏することを
重要視するのか?

作曲者の想いは絶対だ、と自分勝手な解釈を許さないのか?


それは、「音源」としてのひとつの完成形が残されていないから、
だからじゃないかと思うんです。

モーツァルトやベートーヴェン等が、
残した音源がないから(当たり前ですが)、だからじゃないでしょうか?

中世にクラッシック音楽の発達がなされず、
もし、レコードの出現以降に、
バッハやモーツァルトやベートーヴェン等が出現していたら
もしかしたら、今ほどの作曲者至上主義的な考えにはならなかったかもしれない、
そんな風に思ってしまいました。


「音源」としてのひとつの完成形が残されていないからこそ
楽譜というものが、その作曲者の想いを感じ取れる唯一のものとなり、
楽譜が、単なる音を現す言語や記号というものにとどまらず、
作曲者の、頭の中、脳の中、心の中を現すもの、
という風にとらえられていったのではないかと。

それ故に、「楽譜」という唯一の作曲者の情報から、
その作曲者の表現したかったものを、自分が理解することが出来るか?

どれだけ理解出来ているのか?

そしてだからこそ、その理解度が音楽家としてのひとつの価値基準になり、

その、作曲者の想いや世界を現すことが重要なんだ、
という意識になっていったんじゃないかと、
そう感じるんです。


これが、近代のレコーディング技術が出来た後の音楽だと
まったく方向が逆になるんじゃないかと。


以前、コピーのすすめというメルマガ記事の中で

「CDやDVDなどでミュージシャンの演奏が聞ける、見れる、
という状況は、本当にありがたいことで、

そのミュージシャンがやっている事、やろうとしていることの大半は
僕らはコピーから知ることが出来ます。

音源があるということは、ミュージシャンがやっていることは
隠すことが出来ないということなんですよ。」


というお話しをしました。

「音源」があるということは残したアーティスト本人がどう思うかは別としても
間違いなくひとつの完成形として、その「音源」は存在することになります。


後からその曲をカヴァーする人間は、まったく同じ事をやるというわけには行きません。

同じことをやっている音源なら、元の音源を聴けばいいし、
いくらリスペクトしている曲でも、そこにどうしても「自分」を入れたくなるから。

「完成形の音源」とは違うものを表現したくなるから。

だからじゃないか?と、思うのです。


もちろん、数十人規模のオーケストラでアドリブなんてものを許したら
当然まとまらなくなる、なんていうこともあるんでしょうが
楽譜至上主義ともとれるその姿勢、その理由のひとつに
やはり、「完成形の音源が」存在しない、
ということがあると思います。

余談ですが、キリスト教の信仰者たちは
とても聖書を重要視します。

聖書に書かれている事をよく学び、より深く理解しようと努力しています。

また、その深い理解を得る為に、
他から見れば教義とはまったく関係ないのでは、と思われる部分の研究を
今でもされています。


東洋的な姿勢から考えると、キリスト教(ユダヤ教やイスラムも含め)は
とても「聖書至上主義」的に感じるのです。
(あくまでも僕の個人的な感じ方です。)


イエス・キリストという方がもし現代に現れたら、
同じ事を伝えるために、まったく違う表現をしたのではないか?

などと、思ってしまいます。


と、すいません、話しが飛びすぎた(汗)

まあ、クラッシックで、というかそれ以前に音楽で
自由な表現がどうしてもしたいなら、自分で曲を作ればいい訳で(笑)


クラッシックの世界で作曲者として認知され、
さらにそれをオーケストラで演奏するとなると、そう簡単にはいきませんが

ポップスの世界では誰が曲を作ろうと自由、
誰に認知されなくても、活動できます。


そういう意味でも、あなたもどんどん曲作りにチャレンジしてみてください。

PS

実は、今日の話しとは別に
CDなどの「完成形の音源」の出現によって、
失われたもの、というか

離れてしまった、「或る事」というか、

ちょっと判りにくい表現だと思うんですが、そんなことがあるんじゃないかなあ
と思うことがあります。


次回はその辺のお話を。
(たぶん、ですが(汗))

作詞 作曲 DTM

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